デウス・エクス・マキナ

『ゴシックハート』は先月からしばらく品切れ状態でしたが、このほど三刷となりました。

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イナガキタルホ的作品のつもりで

「群像」五月号、その「新人15人短篇競作」特集の中に自作が混じっている。

『石性感情』という題名。小説。

少年少女に仮定された「無垢」の両義性を常に記してきた者の作として、また、国書刊行会刊のアンソロジー「書物の王国」第六巻「鉱物」の編者としての背景が透けて見える、そしてアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」にも通ずるようなヴィジョンをほんの断片として書き留めた短篇……って自己宣伝失礼。

この25枚ほどの短篇は10年以上も前に原型となるものが書かれたのだが、その後、実に数奇な運命をたどり、今ようやくこの形で公にできた。

ともかく何かの新人賞等で文芸誌に登録された作家はいつでも作品を持ち込むことが可能なので、自分は以後もそうするだろう。気長に続ける気があればこの先も何作かは掲載されると思いたい。

好きになってくださる方のために書いてます。

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ミートパイ

はやいものでフリーペーパー版「早稲田文学」はもう3号だ。

連載の「リテラリー・ゴシック」03では「嵐が丘」的感受性の継承、といったこと。

シルヴィア・プラスを引用したが、一例にすぎない。

佐藤弓生は左川ちかを日本のシルヴィアだと言う。

マリリン・マンソンだって「嵐が丘」族だ。

すでに無料で書店に置かれているそうです。
どうか手にとってみてください。

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トライ・ミー

3/8の読売新聞夕刊「本よみうり堂 トレンド館」に、
石田汗太記者による「ゴシックの美学 いまなぜ復活 不安社会で『生』の欲求」という記事が掲載された。

この件で先日取材に応じた。
記事には私の言葉として以下の部分もあり、

「個人的には、30年代の江戸川乱歩の猟奇趣味、エログロナンセンスあたりが日本的ゴシックの源流と思っていますが、80年代にアングラ的に洗練されていた耽美と退廃のゴシック趣味が、90年代以後は『おたく文化』と重なりながらすそ野が広がったのが特徴だと思います」

うまくまとめてもらっています。

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トムキャット

久世光彦氏逝去を知る。
TVドラマの演出家として神のような人だったことは言うまでもないが、私としては「昭和幻燈館」「一九三四年冬―乱歩」「早く昔になればいい」「曠吉の恋―昭和人情馬鹿物語」などの作家として、より尊敬していた。
昨年、「曠吉の恋―昭和人情馬鹿物語」のうまさにうならされて読売新聞の評判記に絶賛を記したばかりである。

「少女領域」の野溝七生子の章では、野溝を紹介した「君知るや南の国」から引用もさせていただいた。
ただし、そこに見られる少女崇拝的な態度はむしろ少女を取り込むものであって少女領域的には許容できない部分もある、と、反感を招くことも覚悟で書いた。
その件も記した上で上の本をお送りしたが、もし自分への気遣いから該当部分を削除したのではあなたの考え方を示さないことになるのだからそれでよい、と文人らしい許容のお言葉をいただいた。

いずれにせよ私は久世氏の翳り深い語りを愛していた。
語りのうまさという価値の前には思想的相違などどうでもよいことだ。残念である。

今もこの方のような文人でありたいと願っている。

昭和の翳りの部分を愛する者として心から追悼いたします。

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トーキング・アバウト

最近の執筆メモ02

まだでてないもの

01 現代女性作家読本シリーズ『多和田葉子』(鼎書房)
「三人関係」について掲載予定。

これは現代の女性作家についての研究書。『小川洋子』『川上弘美』が既刊。『笙野頼子』『松浦理英子』『山田詠美』などがこの先のラインナップにある。大学では需要があるのだろうがあまり書店でみかけたことはない。でもいい企画です。
「三人関係」は「三角関係」とは違う、というところから始まるのだが、じゃあ何? という話。澁澤の「思考の紋章学」、それと兼好の「徒然草」なんてのも参照して、でもやはり軽く読めるもの。

02 フリーペーパー版「早稲田文学」に連載の「リテラリー・ゴシック」03

今回はシルヴィア・プラスの詩を中心に、アン・ラドクリフ~エミリ・ブロンテ~シルヴィア・プラス~マリリン・マンソンといった形で続くゴスと少女的抵抗意識について。
なお次回04は「お化けたちとの楽しい暮らし」

03 「ナイトメア叢書」(青弓社刊)の第二巻『近代幻想文学の再構築』(仮題)に10枚ほどのコラム。

ここでも三島由紀夫とその仲間たち(こっちはゲイ専門ではない)が担っていた様式美優先的ロマン主義、三島の死後、「ロマンティシズム」には否定的となった純文学、それを継承している幻想文学(の一部の書き手)、といったことをこれまたエッセイとして。

04 東雅夫編『猫路地――猫ファンタジー競作集』(日本出版社)
猫に関するファンタジー競作集。4月刊の予定。
収録予定作家作品は以下。

加門七海「猫火花」
長島槙子「猫ノ湯」
谷山浩子「猫眼鏡」
秋里光彦「猫書店」
寮美千子「花喰い猫」
倉阪鬼一郎「猫坂」
佐藤弓生「猫寺物語」
片桐京介「妙猫」
井辻朱美「魔女猫」
菊地秀行「猫のサーカス」
片岡まみこ「失猫症候群」
霜島ケイ「猫波」
吉田知子「猫闇」
天沼春樹「猫女房」
化野燐「猫魂」
梶尾真治「猫視」
森真沙子「四方猫」
別役実「とりかわりねこ」
皆川博子「蜜猫」
花輪莞爾「猫鏡」

こちらは秋里光彦名義。佐藤弓生もいます。
今回の作は私としてはおそらく初めての明るいファンタジー。
高橋葉介氏の短編みたいな感じを狙いました。

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モンタギューとキャピレット

最近の執筆メモ01

既にでたもの

01 二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社刊)

巻末「記憶――あの日、彼女と」というところに佐藤弓生とともに寄稿。
「主体と客体の狭間」というのがそれ。
お読みいただけばわかるように、『ゴシックハート』の末尾に記した「ゴシックな記憶」の女性はこの人です。

02 フリーペーパー版「早稲田文学」2号に連載の「リテラリー・ゴシック」02

ネオ・ゴシックの作家パトリック・マグラアの「天使」から、悪魔だけでなく天使に向けられたゴシック的視線について。須永朝彦の「天使」についても少し触れた。
エヴァンゲリオン以後、天使もまた異様な怪物であることが広く認められたのでは? もともとユダヤ教の天使はかなり怖いのばっかりだそうですが。

03 「彷書月刊」2006年3月号「特集 アドニスの杯」に「遠い記憶として」寄稿

この「アドニス」というのは三島由紀夫・中井英夫・塚本邦雄らが匿名でやってたゲイ専門誌です。
新版三島全集に、三島が匿名で発表した「愛の処刑」が収録(ただしこれが掲載されたのは「アドニス」の別冊の「アポロ」)されたことや堂本正樹による回想がよく読まれたこと、そしてなんか「アドニス」が古本の世界で少々話題になってるらしくて特集となったもよう。
最初はアドニス的アンダーグラウンドゲイ文学の文学史的意味とかなんとか望まれたが、実際手に取ったこともない雑誌について書くのは無理、よって、完全に部外者として1960~80年代に三島や中井、塚本といった作家たちのゲイテイストをいかなる形で受容してきたかという報告に徹したものとした。論文ではなく回想エッセイなので比較的書きやすかった。

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無常門

二階堂奥歯著「八本脚の蝶」ポプラ社から届く。
西崎憲、穂村弘、佐藤弓生らとともに私も短い文を載せている。

蝶の翅の模様が表紙なのだが
ネット上の書影では 翅の模様だけが強調されて
なにか異様な怪物が口を開いているようにも見える。
そういう感じで出されてもよいとは思うが、
実物を見るとかなり印象が違っていて
重厚かつ瀟洒で特に背表紙の飾り文字が綺麗。
カバーをとって広げると蝶が翅を広げている像になる。

この本、著者の自死までの日記だが
いずれ、たとえばシルヴィア・プラス「のような」
意識の女性にはバイブルになるかも知れないなと思った。

自分が文を寄せているので活字メディアでの紹介とか書評はしないが
何年か後に、何か言及することもあるかも。
むろんその前にいろいろなところで話題にもなるでしょう。

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ジュテーム

うまくゆきますようにの覚え書き

来年から新たにフィクション風エッセイの連載か書き下ろしが可能となりそう

ここ10年くらい評論中心にしてきたが最近はそれだけではどうも足りない気がしていたこともあり
大変ありがたい

二階堂奥歯さんという方の遺稿集にも随想みたいの書いてるし
もうじき刊行

それと「猫ファンタジー」の競作集というのが猫専門誌やってる出版社からこれももうじき出ますが
ここにも参加しています

プラス、穂村弘さんとの対談以後も続く
こちらは前回のような経験報告形式ではなく、互いの文学的確信を語る予定
ややシリアス

ほかにもあるがさしあたって優先されるのはこのへんかな

ということで来年はエッセイとフィクションを中心にすることになりそう
めざそう文人

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ムーランルージュ

リアルタイム的コメント その5

(下の方の1から順にお読みください)

承前

著書としての『ゴシックハート』は「本格ゴシック評論」と銘打って
刊行していただいて、
この刊行のされ方には大変感謝しているのだが、ただ、
厳密には、私が真に評論と考えているものは
前著『無垢の力――〈少年〉表象文学論』だけで、
(その意味では『少女領域』も厳密な意味では評論的でないところが多い)
『ゴシックハート』はどちらかといえば怪奇や暗さと死に惹かれる意識の様相を
できるだけ冷静に記録してみたものというのが正しく、
そうした意識への真っ向からの批判は敢えて避けたので、その意味で、
自己相対化に富んだいわば「真の批評的な精神」は乏しいと言ってよいだろう。

跡上氏の用いる「ゴシックハート」だけを私の示したものとされることには
とりあえず反対しておくが、
ただし、『ゴシックハート』を読んでくださった方による見解として
このような批判がなされることに文句はない。
批判はこのようにして行うべきであるとも思う。

もうひとつ、「ゴシックハート」が既にひとつの一般名詞として
流通していることがありがたいような、こそばゆいような。

何より、私は、誰かが私の言葉に反応してくれるということが
嬉しくてならないので、
あてこすりめいたものや、著者名と書名を明確にしないまま行なわれる
卑怯な攻撃以外ならば、批判も歓迎する。
礼儀とルールを守る書き方ならばさらにありがたい。

特に今回の跡上氏による格式の高い批判は、
実のところ直接私へ向けてのものとは言えないが、
なんだかかゆいところを掻いてもらったような気さえする。

跡上氏は澁澤龍彦の研究家であり、かつセクシュアリティ問題に関しても、
さらには三島由紀夫に関しても詳しい学者の方である。
今後、期待して注目したい。


……もっと私を語って……

(この項終了)

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